2005年12月30日金曜日

ラケットの進化

 私は道具(手段)に拘泥して本質(目的)を見失うのが得意な人間なので、大抵の趣味に於いて、良い道具を揃える事に異常な心血を注いでいる。余りにも心血を注いだ結果、貧血になる程だ。バドミントンに限らず、多くのスポーツで「道具じゃない腕だろう阿呆が」というようなケチをつけるのを趣味にしている人がいるが、個人的な趣味の世界で他人にケチをつけるというのは、愚かそのものである。私は賢いのでそんな事はしない。基本的には他人に不愉快な思いをさせずにマナーを守れば、自分の好に振る舞ってよいのが趣味の世界というものだ。という事が一言居士の彼らには分からないのだろう。趣味にケチをつけるんじゃないド阿呆が。

 このような話を、先日教え子にしてみた。すると教え子の中学生はすぐさま反論を打ち立ててきたので、私は彼女が間違っている事をやんわりと諭してやろうとした。

「でもやっぱり、道具じゃなくて腕だと思います」
「何を言っているんだ。ラケットの進化はバドミントンのプレイそのものを変化させてきだんだぞ。40年前のプレイと今のそれでは、スタイルが全然違うのはその為だ。ましてや4000年前とはもっと違う」
「4000年前にバドミントンは存在しません」
「細かい事にこだわるんじゃない。私の発言の要点を捉えるんだ」
「バドミントンの本質は技術面の向上であって、ラケットの進化ではないと思います」
「君は本質を見誤っている。そもそも4000年前にバドミントンがなかったと証明できるのか。或いは4万年前にもあったかもしれないだろう」
「コーチこそ、細かい事に捕われ過ぎじゃありませんか。そもそも4万年前には私達のような人類は存在しません」
「ゴチャゴチャ五月蝿い。人の趣味に文句をつけるんじゃない。ノックをはじめるぞ」
「コーチも腕が大切な事を理解してくれたんですね」



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